「発信21」 「発信21」へ戻る


 

 

<第13回フットサル大会>

 7月15日(金)、三芳グランドにて第13回フットサル大会を行いました。前回に引き続き、若者サロンメンバーが中心となって日程調整や参加者募集などの準備を行いました。6月に実施したときのノウハウを活かして、テキパキと準備を進める子どもたちの姿は、スタッフの目にはなんだか頼もしく映りました。
 節電対策でグランド照明が使えず、いつもより早い17時からのスタートとなったこの日。当日は、参加者募集のちらしを見て、初めて来てくれた2名の男子を加え、13名がフットサルに参加しました。
 熱中症が心配になる程の暑さの中でしたが、子どもたちは元気一杯プレイしています。初めて参加した子どもたちも、身体を動かしながら、いつのまにか輪に溶け込んでいました。そんな自然な交流が生まれるのも、スポーツならではの楽しみ。
 また、今回のフットサル大会は平日の夕方、お父さん・お母さんの手を借りることはできません。私たちは、初めて現地まで電車とバスを乗り継いで往復しました。今まで、車を出して頂いていたことの有り難さを実感するとともに、「自分たちでも、なんとかやれるんだ!」という自信を得ることにもなりました。ほんの小さなことですが、その積み重ねが、新しいことにチャレンジする原動力を産むのだと思います。次回のフットサルは、秋口を予定しています。電力の状況やグランドの都合により時間帯が変わる事も予想されますが、皆様のご参加をお待ちしています!


 

 

<親サロン議事録〜7月〜>


 7月最終日、にいざほっとぷらざにて親サロンを開催しました。この日は、初めて参加するお父さん・お母さんを含めた14名が参加。学習に関する悩み、子どものキャラクターについて、家や学校での様子など、様々な話題について語り合いました。その中で中心的な話題となったのは、「目標」について。「この活動でのあなたの目標は?」こう言われた時、頭が真っ白になってしまう子どもは、少なくありません。「目標」という抽象的な概念をどう捉えればよいか解らず、「とりあえず」なんていう誤魔化しもできず、立ち往生してしまうのです。「これをしたらどうなるのか?」「そしてその先は…そのまた先は?」…そんな風に、先の先の先まで考えだすと結局何もできなくなってしまう。
 コンビニやスーパーには出来合いのお惣菜が並び、包丁も火も使わずに夕食にありつける。洗濯だって、全自動洗濯機が乾燥までしてくれる。現代的な生活を送る私たちは、具体的な生活の体験、生活感に乏しい世代と言えるでしょう。文明の利器は日々進歩し、私たちは益々生活「感」から疎外されていくのです。自分が生きるための活動からは疎外されながら、バーチャルの刺激には容赦なく曝されて育つ私たちは、情報通にはなれても、本当の暑さ寒さや痛み、空腹を知らず、自分が生きているという「実感」を持てなくなってきいる。そしてこの、実体験からの疎外と仮想刺激の一般化の傾向は、近年急速に強まり続けているのです。 
 「生活の体験が乏しい若い世代の者たちは、実感を伴った言葉を持てなくなっている」と、望月は言います。実体験が少ない為に、実感のこもった話ができないのだ、と。
 実感を伴った言葉とは、そこに「自分」が表現されている言葉。聞き手が、話し手の姿をその言葉の端々に感じ取れる、そんな言葉だと、私は思います。そして、それこそが、「自己表現」なのだと思うのです。「自己表現」とは、流暢に説明をする事や奇をてらったパフォーマンスをする事ではなく、感情を、体験を、自分自身を、自ら発する言葉の中にこめる事だと思うのです。だからこそ、実体験の乏しい世代は「自己表現」を苦手とする。借り物の言葉は上手に操れるけれど、体温を持った言葉がなかなか出てこない。…包丁を握ってみる、散歩をしてみる、他人と会ってみる。小さな小さな体験を、一つひとつ積み重ねていく。「私が○○をした。」と言える事が増えていく。どんな流暢な弁舌よりも、その人オリジナルの言葉、「私」のある言葉に触れた時、私は、嬉しくなります。
 突然「目標は?」なんて聞かれると、何にも言えなくなってしまう…本当はそっちの方が正直なのです。嘘が言えないだけなのです。自分の中に様々な体験の記憶があって初めて、「本物」の言葉を話せるのだから。(柴田)